皆様、いかがお過ごしでしょうか。
先週の日経平均株価は米中首脳会談でのトランプ米大統領に対する失望売りもあり、どちらかというと弱含み相場の印象を受けました。
(システムエラーのため本の掲載は次回にて)
近年、地政学リスクがあまりにも多すぎて、日経平均の先行きについて考えるのが嫌になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
日本人はその国民性からか、駆け引きがあまり得意ではないように思われるので、米中をはじめとする大国の外交のやり方に嫌気がさしているのかもしれません。
これは島国という特異性から、仕方がないことかもしれません。
ただ、日本株式市場は海外勢が大きな影響力を持っているため、外国人投資家の考え方を理解しておく必要はあると思います。
その意味で、仕事がら海外投資家と日々コミュニケーションを取っている方々等は日本株投資において優位性があるのではないでしょうか。
そのような恵まれた環境にない場合でも、ひとつの考え方に凝り固まるのではなく、いろんな意見を理解する癖付けを心掛けることも投資には役立つと思います。
ある意味、投資で生き残るには柔軟性が大事ではないでしょうか。
さて、話は変わりますが、本日は「幸せ」について少し思うところを話したいと思います。
こちらのブログでは資産運用の話を中心にしていますので、経済的自由が少しでも「幸せ」につながればという考えの基にお話しをしていますが、本当にそれだけで「幸せ」になれるのかということも考えています。
私が考える「幸せ」として「自由」という要素が大きな位置を占めます。
もし経済的自由が得られれば、時間的な自由も得られるかもしれませんし、選択の自由も広がるかもしれません。
ただ、非常に悲しいかな、年齢とともに身体能力や考え方は衰えや制約が増していくため、身体能力や考え方は年々その「自由」が減少していることを認めざるを得なくなります。
かといって、若くして経済的自由が得られれば一番「幸せ」かというと、そういう単純なことでもないように思います。
「幸せ」や「自由」というのは「不幸せ」や「不自由」を経験したものでないと真の意味でその有難さが理解できないと思うからです。
だからこそ、多くの若い方々は経済的な豊かさを求め、年配の方々になるにつれて健康を求めるようになるのだと思います。
人生は日々の積み重ねで成り立っており、小さな選択の連続から最後が決まっていくような不思議さを覚えます。
我々にとって「幸せ」は永遠のテーマとも言え、それを求めている感覚のある間は何かしら「幸せ」なのかもしれません。
とりとめのない話をしてしまいましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
(システムエラーのため本の掲載は次回にて)
なお、特定の金融商品の売買を勧めるものではなく、投資は自己判断および自己責任でお願い申し上げます。
ではでは。